1年前の8月にテレビでやってたのを録画して、ようやく見た。想像していたことながら、
――わたしは嫌いだね。こういうのはね。
イメージの羅列でしかないんじゃないか。話がないのではないか。
誰が誰で、どんな関係性で、背後にどんな歴史があるのか。
たとえば「お父さん」。人間なのに、海の中で暮らし、魔術的な、科学的なことを
しているが、一体それには何の意味があるのか。何を目指しているのか。
海の女王と子をなしているが、どういう経緯でそういうことになったのか。
キャラクターの存在感を支えるのは、その背後にある歴史。
それなのに、歴史が欠片も語られない。どの人物についても語られない。
たしかに語るのは、難しい――というより、めんどくさいことだよ。しかしそれは、
「物語」を他人に見せる時に通らなければならない、入口の門じゃないか。
めんどくさがっているの?なんなの?宮崎駿は年をとってどうでもよくなってしまったの?
わたしは「千と千尋」から、こういう語られない部分がすごく増えて嫌になった。
いや、違う。語られなくなったのはむしろ「ハウル」か。
「千尋」はカオナシに関わる整合性が疑問でイヤだった。
「ハウル」を映画館に見に行って、「もうジブリは見ない!」と心に決め、
その後10年以上見ていなかった。
それでも「風立ちぬ」は数年前(7年前)に(テレビ録画で)見てhttps://plumfields27.com/2019/08/27/1980/、これはまあ駿さんの
趣味の話ってことを鑑みて面白かった。これは趣味を映像で描いたエッセイだと思った。
今回の「ポニョ」は趣味で描いた抽象画。……と、思えればいいんだけど、
わたしは「物語」がない映像作品は好きになれない。土台がない建物を建ててるみたい。
まあ土台がない建物というのもテントやゲルとかいろいろあるから
許容するべきかもしれないが、わたしはジブリには土台がしっかりした、大きな
(中くらいでもゆるす)話を期待しているんだ!ふらふらした風船みたいな話はイヤなんだ!
イメージの奔流だけで売って欲しくはない。それはごまかしだと思っている。
ごまかしといっては厳しいのかもしれないが、天下のジブリはそういう売り方は
許されないと思っている。
ジブリブランドは世界に確立されている。
その上での仕事になるのは仕方ないんじゃないか。つまり話をしっかり作れということ。
イメージの羅列で作りたいのなら、ジブリ美術館で流しとけ!と思うのです。
――もうジブリ新作を見ることはないだろう。人生2度目の決別宣言。
……あ、でも「かぐや姫のものがたり」を録画してあるんだよなー。
これはそもそも好きじゃないだろうなーと予想しているんだけど、
宮崎作品と高畑作品は多分同一視しない方がいいじゃない?これは見るか。
途中までになるかもしれないけど。

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